流れはどこから…
足元の草から
流れはどこから…
運ばれる風から
流れはどこに…
瞳のせせらぎに
瞳のせせらぎへ
母は私に「読んでみなさい♪」という感じで時々新聞の切り抜きをテーブルに置いている。
この記事はいい香りだったので、写真にとっておいた。
自然の流れというけれど、なかなか自然がなんなのかわからなかった。
今だって流れて初めて自然な感触を自覚する。私の場合は気持ちよさがバロメーター。
自分はどんな生き物なんだろう。
私も探求中だし、踊りのレッスンではみんな一人一人がその自分の体を流れる「流れ」に耳をすますことを続ける充実した時間であると思っている。
私自身
からだの流れを制限しているような、、せき止めているようなものとどんどん向き合えるようになってきた。
この存在が私にたくさんの学びをくれていることに気づいてから、仲良しになってきたというか、、感謝の気持ちが芽生え育った。
こんなに流れについて感受する時間を与えてくれていることが結果的に幸せであることがわかったから。
これ自体が私の命の個性「流れ」なんだと思うと、恐ろしいほど不器用な私の特徴が愛おしい(笑)
それで、実際どんどん流れると楽チンだし気持いいし嬉しい。
このわからないを知りたいのと、気持ちよく流れを感じたい、感じ合いたい、
気持ちよくなっていく先にはどんな景色が広がっていくのか見てみたい、
はとっても大切な楽しさなのだ。
流れと精神は互いに影響しあうことは、
深く実感している。
ということは当然日常の営みにも影響していく。
からだの可能性はとても立体的。
そして漠然としてだが、この立体はエネルギー「流れ」となって無限に広がっていくように思える。
posted by ちづこ at 01:24| 神奈川 ☁|
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